1万年生活 12.5

デザインやものづくりを追求していたら僕はいつのまにか農業をしている。最近「デザインはもうしないの?」って聞かれるけど、僕の中では今でもずっとデザインをしているという感覚しか無いんだよね。

農業っていうと、すごく泥臭くて肉体労働的なイメージばかりが先行するけど、土を育て種を蒔いて作物を得るまでの過程にある「自然」と「作物」と「人」の『関係性』や、その作物を販売したり交換したり自ら消費したりして成り立つ為の『生活のカタチ』を創ることはまさにデザインそのものだと思っている。

トマトにしかりレタスにしかり作物が育つまでのメカニズムの中には微生物から昆虫や動物、気候から太陽光や月の引力まで、地球上を超えてのありとあらゆる事が影響している。そこに僕ら人間が関わり合いながらどんな環境を作り上げられるかで作品の出来映えが決まってくる。デザイン的な幅広い知識や計画性とクラフトマン的な技術と根気作業に加えて、絶対に逆らえない自然が左右する必然性や偶然性が織りなす世界はまさに芸術的。それらの生態系や環境や運命性のひとつひとつに理解を深めながらそのピースを組み立てていく作業は、すごくクリエイティブな仕事だなーと思っている。

んで、今なにより魅力を感じているのが「循環」する生態系の仕組み。そこにはなんかやたらと可能性を感じている。例えば・・・大雑把に・・・

・植物は、果実(種)を育てる。
・果実は、動物(人や家畜)を育てる。
・動物は、排泄物(栄養源)をつくる。
・排泄物は、虫や微生物を育てる。
・虫や微生物は、栄養をつくる。※
・栄養は、植物を育てる。
・植物は、果実(種)を育てる・・・・。

※家畜糞や植物の繊維は、土中で虫や微生物が消費・分解することで、再び植物が取り込める物へと変わる。

そして、ここに様々な日照条件やら月の引力も関わってひとつの生命を育んでいる。鉢植えでも、畑でも、杉林でも、森も、山も、規模が変われど、基本的にはこのサイクルのなかで、植物と動物・虫・微生物は関係している。だから、人が関わってこの関係の中で足りないものを補っていくことで生態系を育み、その余剰分を野菜や家畜・薪や木材などの収穫物として頂いている。ちなみに、家具や家を建築する材料だって服や鞄になる材料だってこのサイクルの中から生まれてる。

そして、消費した分をひとつの周期で再生して「循環」する生活の仕組みがあれば、ぼくらは豊かな暮らしを長く続けていけるじゃないだろうかって思う。だけどその循環の仕組みは絶対的な自然の摂理の元にある以上、今の暮らしの様な過剰な消費には耐えられないけれど、それでもそこに人が地球上の生き物としてきちんと参加して自然を育む事が出来れば大きな可能性があると思う。古代縄文が1万年という歴史を保っていた様に、そこに共生と循環・再生の意識があれば、僕らはもっと豊かになれる。



1年かけて育てた食料を大切に1年かけて消費して、
100年かけて造った家に100年住めたなら。。。。




1万年を暮らす「循環する生活」。。。。完成したら大変だー。



それまでがもっと大変だー(笑


気楽にがんばろーっと☆